どうしても最近の日本の動きには失望を感じることが多い。
私はといえば、最近バタバタしているので、
色々とブログに書きたいことがあるのだが、
なかなかこちらに時間を割くだけの余裕(能力?)がない。
しかし、、、
具体的に多くの事例を挙げていらっしゃる訳ではないが、
私が昨今感じている感覚と重なる文章に出会えたので紹介したい。
読売新聞(大阪版?)からの引用で、筆者は多田富雄さんである。
[URL]
「多田富雄の落葉隻語 現代の「姨捨」を憂える」
というタイトルで書かれているこの文章は、
じっくり考えるに値する問題の方向を示している。
新聞というのは、突然リンクが切れたりするので、
後で、あえて全文を転載させていただく。
著作権についても、「新聞」という性質上、許される範囲だと思う。
多田富雄さんといえば、免疫学の世界的権威で、
恐らくバイオ系の科学が好きな人なら知らない人はいないだろう。
また、一般の本好きの人にとっても、
代表作が『免疫の意味論』なのだから、知らない人はいないと思う。
「能」を自作するほどの人でもある、超・多才な多田さんは、
ご高齢ながら筆はまだまだ活発である。
このような科学者がいることは誇りである。
バイオ系の研究者、科学者として養老孟司さんが、
最近では有名だけれども、私は多田さんのほうが好きである。
大学生の頃は養老さんに興味を抱いていたのだが、
それはやはり「唯脳論」という視点の提出によるものだった。
「脳化」という概念は、今でも有効なものだと思っている。
茂木健一郎さんに至っては、
今頃「クオリア」がどうとかおっしゃっているが、
私の学生時代には既に科学と哲学の議論にあがっていた有名な仮説の一つで、
それは今からもう20年近く前の話になる。
「分析哲学」の系統を中心に「クオリア」仮説については
議論も落ち着いていて、今ではもう、場合によっては、
既成の立場を示すものとしてさらりと流されることさえあるくらいだ。
もう一つ、ついでで申し訳ないが、森毅さんという数学者がいらっしゃる。
数学者として、最近有名なのは、なんといっても藤原正彦さんだろう。
しかし、私は森さんのほうが好きである。
森さんの著作は「いいかげん」がキーワードである。
藤原さんが、国語を大切に、とおっしゃっていたのは知っているし、
その主張についてのエッセイも拝読したことがある。
そのころ私は、何とも好いことをおっしゃる、なるほどと感心していたが、
何とかの「品格」とか言い出された頃には、もううんざりしていた。
「バタバタ」などと書きながら
長く余計なことを書いてしまいました。。。(汗)
ついでなので、新聞へのリンクとして、これも付け加えておきます。
朝日新聞へのリンクで、これは私も紙媒体の紙面で読みました。
一面に掲載されていたと思います。
「後期高齢者医療制度」にも触れています。
「恐ろしさ」さえ感じるこの制度の「ネーミング」一つ取っても、
今の日本の官僚や政治家が、いかに国民、いえ、私の感覚とかけ離れているかを、
象徴していると言っていいと思います。
「年金減り、必需品は一斉値上げ 4月から暮らし直撃」
というタイトルで、リンクは↓
[URL]
です。
それでは以下!「読売新聞」からの転載です。
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「多田富雄の落葉隻語 現代の「姨捨」を憂える」
わが心 慰めかねつ 更科や
姨捨山に 照る月を見て
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