岩佐徹氏のブログについて/ほか(※追記あり)
2014-02-11


ソチ・オリンピックのフィギュアスケート団体戦が終わり、まずは、選手の皆さんに感謝申し上げます。


さて、「ブログ村」で最近うわさになっているようなので、岩佐徹氏のブログを見てみた。どうやら人を揶揄するのが好きな方のようだ。記事の中に「ノイジー・マイノリティ」という言葉が出てきた。『岩佐徹のOFF-MIKE』というブログである。([URL]

私も岩佐氏から見れば一種の「ノイジー・マイノリティ」の中に入るのだろうか。サイレント・マジョリティをもじった造語だろうが、揶揄や皮肉に使うには余りいいネーミングではないなあと思った。
「声を上げる少数派」という意味にでもなろうか、とてもいい印象の言葉ではないか。一般的に、様々な少数派が声を上げることは歓迎すべきことだ。

私は「ノイジー・マイノリティ」より「ノイジー・マジョリティ」のほうが鬱陶しいし、「サイレント・マジョリティ」は、山本七平氏が指摘していたように、いわゆる「空気」を作る「困った」集団を表すこともできる。(本来は、そういう意味で使われた語ではないが。)
これらの4つの分類で言えば、岩佐氏のような、大手マスメディア勤務の経験があるような肩書きを持つ人は、ノイジー・マジョリティとでも言えよう。
ただし無論のこと、これらの分類は流動的である。どのような主題に力点を置くかによって、私も含めて全ての人がどの立場にもなり得る。

アナウンサーという職業は大変なのだろうと思う。しかし、わざわざ私が言うまでもないが、公共性の高い仕事であることも事実であり、その責任の重さは自覚的であって欲しい。もともと私はアナウンサーに対してあまり良い印象を持っていない。が、ここではそれはまた別の話であった。

岩佐氏はフィギュアスケート観戦をお好きなようだ。けれども、その観戦スタイルは全体を感覚的に捉えて美しく見えるかどうかを判断するということらしい。記事を幾つか読んでいると、何となくフィギュアは見ている、という程度と考えてよさそうだ。ひょっとして6種類のジャンプの判別ができないのではないかとも思ったが、まさかそれはなかろう。あれだけのことを書くのだから、スリー・ターンやモホークくらいも知っているのだろう。(もし分からない、知らないとしたら……、ここで私が氏について何か書くこと自体がバカバカしく思えてくる。)

いずれにせよ、まったく主観的な美的判断のみで見ている人が、細かいところまで口を出すこと(特定の人を名指して非難を行うような行為)には、かなり違和感を覚える。(このあたり、主観性とか美的判断等に関しては、映画の話を書いているときにまた触れるかもしれない。) いまフィギュアをめぐって行われている議論はそんな単純な話ではない。

たしかに、いろいろブログを見ていると相当に過激なものもある。けれども、大きく見れば、岩佐氏自身が書かれているとおり、マイナーな次元で留まっているのである。だから、ノイジー・マイノリティという言葉が使える。
フィギュアスケートが大好きな人たちの中に混じって、人を茶化すような行為は止めていただきたいものである。

私自身、このブログでISU(国際スケート連盟)に関して、シリーズのような文章を書いてきた。私がそこで述べていた内容は、簡単に言えば、フィギュアスケートの政治についてである。
「陰謀論者」とか「ルール恭順派」という言葉は、それらを書いているときに知ったのだが、私も陰謀論者に入れられるかもしれない。けれども基本的な部分は、私は陰謀について書こうとしたのではなく、政治について書こうとしていただけである。

現在、周知のとおり日韓関係はよくない。「従軍慰安婦」問題や安倍首相の靖国参拝などがよく話題になる。それについてアメリカはどういう立場を取るかも注目されている。

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